『理想の自分と等身大(リアル)の自分』〜高校SC相談室コラムから
SCで関わっている、頑張り屋さんの多い高校の生徒たちに向けて書いた「相談室便り」の原稿から、転載。
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『理想をゆるめて等身大(リアル)の自分を正しく見立てること』
7歳くらいの小さい人から、80歳くらいの大きな人まで、では「こんな風になりたい理想の自分」と「今の自分」のギャップで悩んでいる人が増えたなぁと、この頃感じます。
わたし自身もそうでしたが、身近な友人や、自分より「できる」ように見える同級生や部活の友人、きょうだいはもちろんのこと、インターネットで圧倒的に経験も知識もあるその道のプロや芸能人とも自分を比較して、落ち込んだり、焦ったり。本当に毎日が「比較」で忙しくて仕方がないという人が、増えているのではないかなと感じています。
「いやいや、あの人とあんたは違うやん。あの人と同じようにできんくて当たり前やし、あんたにはあんたの良さがあるやん。」とアドバイスをもらっても、思い描く理想の自分になれていない自分を責め続けていると、心のエネルギーは24時間ずっと漏電状態。枯渇してしまいます。
そんなとき大切なのは、他の誰とも違うそのまんまありのままの「等身大の今のわたし」を、まず受け入れること。理想の自分に程遠くてダメダメだとしても、「今のわたし」という存在を受け入れると、日々のストレスはぐんと少なくなります。
そして、そこからはじめて私たちの心は、本当の自分の目標に向かっていくことができます。地図上の自分の「現在地」を見誤ると、正確な目標までの距離も方角もわからなくなって迷子になるのと似ていますが、今回はそんなお話です。
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外見も内面も自分の理想通りのいい感じ。例えば空気を読んで誰とでもスムーズに付き合える自分に今すぐなれたりしたらハッピーかもしれないけれど、実際はそうではないことがよくあります。
現実の自分はみんなに好かれているわけじゃないし、自己中心的。
「あの子」みたいにいつも優しくて、慈愛に満ちているわけでもない。
言いたいことを上手く伝えられないしことも多いし、空気を読んで動くことも苦手で、いつも自信がなくて凹んでる。
心も、いつも湖の水面みたいに静かでフラットにいられるわけじゃない。学校では本当は言いたいことがあっても自分を抑えてみんなに合わせているけど、家では感情的だし、親とはいつも大げんか。
自分より目立ったり評価されてる子がいると、その場から消えてしまいたくなって、無意識に妬んだり、焦って変なことして失敗したりして、自己嫌悪。外見も性格も最低でほんと自分が嫌になる。
という人、いるんじゃないかなと思っています。
そんな人にお届けしたいのが、今日のテーマ「等身大の自分」を受け入れる方法。
例えば、わたし自身がカウンセラーになって1年目。相談者さんの役に立てなかったことがありました。
でもしばらくして「なぜ経験30年の大先輩と自分を比較していたんだろう?」と自分の傲慢さに気づいて、落ち込みは終わり。「今できないのは当たり前。勉強するしかない。」と気持ちは回復。
それ以降、人と比較をすることが減って、かなり楽に生きれるようになりました。
「落ち込む」ということは、逆に言えば自分に「私はもっとできるはず」という「期待」をしていたということ。
できないと思われたら周りの人にどう思われるか人の目が気になって不安で、自分を「もっとできる自分」として見せることで、自尊心をギリギリのところで守っていたのだと思います(自己防衛の癖です)。
でも、意外と周りの人はそこまで見ていないし比較してない気にしていないもので、多分「30年のベテランと1年目のカウンセラーがいる」というだけ。特別な何者でもない「わたし」というたった一人に注目して採点するほど、みんな暇じゃない。
だから、自分をよく見せる必要はなくて、今は失敗したり分からなくて当たり前でいい。
それに、30年の経験があっても「うまくできない」経験は今も多分あるはず、と思えるようになりました。
「全ての相談に」「正しい正解で」「人間的にも素晴らしい人格を維持しながら」相談に乗るなんて、誰にもできないと気づいたことも、大きかったと思います。
冷静に考えれば、全人類と相性がよいカウンセラーはいないし、いつも100点に近いカウンセリングができるなら、A.I.かもしれません。
「できない自分」を受け入れてはじめて人の心は緩んで、そこから本当の意味で地に足つけてジャンプできます。
プライドと傲慢さを手放して、「しょうがないやん、今はできへんねんもん!」と自分の中で宣言してからが本当の勝負。「みんなにこう見られたい理想の自分像」が崩れて底をついた時、過去の自分の栄光や「よく見せよう」とする振る舞いを手放して、「今の等身大の自分」を受け入れることができると、人生はぐんと生きやすくなります。
地上から少し浮いたところの「理想の自分」しか見えていないと、身体はふわふわ心と頭はガチガチ。ジャンプしても飛べない自分を無意識にわかっているので、チャレンジするのが怖くなって何も手につかない。
「等身大の自分」を自分自身が受け入れていると自分をよく見せようとする必要がないので、「今ここ」に着地して、身体と心は安定した地面に支えられていい感じで脱力している。チャレンジしても地面に戻れる安心感があるので、全身の筋肉をフルに使って少しずつでも着実に目標に向かっていけます。
等身大の自分を受け入れるということは、「グラウンディング=地に足つける」ということ、でもあります。
オススメは、自分の中だけでなくて周りの人にも等身大の自分を表明しておくこと。
「一年目なので今はまだまだできないこともあるけど、頑張りたいと思っているので色々教えてください。」とか、
「(発表するとき)今めっちゃ緊張してます」と前置きしておくとか、
「実は目立ちたがり屋です。他の人が目立ってると実は悔しくて心の中でキーってなってます。」とか、
「優しいふりして実は自己中です。」とか。
「今カウンセラーしてますが、高校時代は自分の気持ちのコントロールができなくて、父と壮絶な大げんかしてました。」とか。
もちろん誰も彼もに表明できるわけではないですし、一気にそんな表明できないと思ったら、安心できる誰か一人とか、小さいことでもいいので一度試してみても良いかもしれません。
「こんな風に見られたい」と膨らみすぎた理想の自分に自分で先に穴を開けておいて、ハードルが下がって気持ちが楽になったら、成功。
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もちろん、
「もっとこうなりたい!」意識で理想や目標を持つことは素敵なことだし、ないものを生み出す想像力や情熱、人生をぐんぐん前へ進めてくれるそのエネルギーは、時に自分だけでなく周りの人を励まし元気付ける力になります。頑張って目標に向かっている自分や「推し」を見るだけで、自分も頑張ろうと思えるのは、その人たちから心のエネルギーを分けてもらっているから。
でも、「現実を生きるありのままの今のわたし」の心と身体を無視して「誰かの価値観」で膨らみすぎた理想や目標は、心と身体を蝕みます。
今は「世界中の誰かのおすすめ(誰かの価値観)や人気」が、インターネット上で溢れかえっている時代です。理想を追うことは本来とても素晴らしいことなのに、情報過多で本当に自分が求めている「理想」が見えにくい時代。
本当の自分は望んでいないかもしれない「誰かの理想」まで、無意識に自分の目標や憧れだと思い込んで、頑張りすぎてしまう人が増えてしまったのではないかと感じます。
「誰とでも仲良くできるわたし」
「いつも元気でハッピーでいるわたし」
「毎日コツコツ勉強してるわたし」
「将来の目標がちゃんと決まってるわたし」
「いつも気持ちが安定しているわたし」
「人間関係を長く続けられるわたし」
「ほとんどのテストで平均点以上取れるわたし」
「誰かのために頑張れるわたし」
全部本当に「わたし」の理想ですか?
国や地域、学校、家、クラス・・いろんな集団ごとに、いろんな価値観がありますが、それをわたし達は集団ごとの「常識」「普通」という言葉で使ったりもします。
人の心と身体は、驚くほどみんな違います。欲求や才能も様々。
だから、人生で到達したい目標や「理想の自分」も、本来は様々であっていいはず。
① 今の現実の自分の心と身体のサイズ感を「正しく等身大に」知って、
② 誰かの価値観に揺さぶられて「膨張しすぎてた理想の自分や高すぎる目標」があれば、本当の自分の理想に書き換えて
③ 「未来」に急ぐことなく「今」の自分に着地しながら生きること
大切な時代になってきたのではないかな、と、最近ぼんやり考えてます。
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最後に「幸福人フー」
という本を紹介して終わります。
双極性障害であることを公言しながら、感情の大波と共に活動しているアーティスト、坂口恭平さん。
建築家であり文筆家、音楽家であり画家・・と、どの分野においても独創的で唯一無二の活動をされているところや、お金や社会に対する価値観や考えの切れ味が興味を惹かれるお一人。理想とパッションで生きる恭平さんが、地に足つけて生きるパートナーさんについて観察&分析した本です。
理想と等身大(ありのまま)のテーマで自分を見つめてみたいと思った時、ぜひ一度チェックしてみてください。
「幸福人フー」坂口恭平・著
〜 僕の妻は「しあわせ」のお手本・不安はないけど期待もしない人
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