【雛罌粟|個人プロフィール】

米須昌代(歌/ギター/作詞&作曲)


歌う事とは無縁のまま25歳。2004年、友人に声をかけてもらいブルースロックバンドに加入。コーラス&たまにメインとして大所帯バンドにて歌う喜びを知る。


幾人もの達者なミュージシャン仲間と同時期にいくつかのバンドを掛け持ちし、ストリートライブを積極的に行ったり、JAZZストリートや地域FMへ出演するなど精力的に活動。

この頃より作詞作曲を始め自らの言葉を紡いで歌う苦しみと喜びを知る。

2007年、クラシックギターと歌のデュオ 「エムサイズ」 を結成し、2010年おーらいレコードより「春風にのって」 をリリース。


2011年に「エムサイズ」が解散すると同時にギターを始める。順者であった祖父、米須の姓で拙いギターで弾語りLIVE活動を開始。2012年からオリジナル曲やカバー曲を中心に、また自身のルーツである島唄にも挑戦しながら様々な場所で歌うようになる。


また同年、ボタンア コーディオンとコントラバスのデュオ「kiripee」の持田桐と Yasmine.Hの3人で「キリマピ」 を結成。5月伊丹アイフォニックホールにて谷川俊太郎「朝のリレー」、京都大学・吉田寮にて「谷川俊太朗と賢作を吉田寮へ呼ぶ会」の両日にオープニングアクトを務める。


同年5月「ハロー・グッドバイ/米須昌代」をおーらいレコードよりリリース。

2013年秋、コントラバスのYasmine.Hと「雛罌粟」を結成。 おーらいレコードより 「コクリコ/雛 粟」をリリース。米須の出産による一時的な活動休止の5年を経て2022年より活動再開。2025年現在、飲食店経営とライブ活動を共に精力的に行う。


Yasmine.H (コントラバス/クリスタルボウル/作編曲)


三重県生まれ。高校卒業と共に外国語大学フランス語学科へ進学。 卒業直前、学内の廊下に落ちていた一枚のフライヤーがきっかけでロマミュージック(フランスの民族音楽)に出逢い、コントラバスを手にする。


その後、JAZZ理論やクラシックの弓奏法をそれぞれ師事。ブライダルやパーティ、美術館、ギャラリー、書店、寺院、学校、空港、映画館、プラネタリウム、京大吉田寮など、様々な場所でパフォーマンスを行い主にJAZZの現場で研鑽を積みはじめるが、生来持つ異文化への興味から、次第にアラブ音楽やタンゴ、民謡や即興音楽など、ジャンルを超えた音楽の在り方に関心が向くようになる。


また、この頃から様々なプロジェクトに関わる中で、オリジナル曲や民謡、朗読やアニメソングのアレンジなどの作編曲にも携わりはじめる。ロジカルながらも直観や感性が内包された旋律やハーモニー、文化やジャンルの垣根を遊ぶように軽やかに包括する世界観、また「静と動」「正統な美しさと混沌」「ノスタルジーと未知」など、相反するものを融合して創り上げようとする作風は、不思議な味わいを醸し出す。

現在は、米須昌代(うた)とのDUOユニット『雛罌粟(コクリコ)』を中心に活動し、うたとコントラバスというソリッドな枠組みの中で、コントラバスという楽器の可能性を日々探究している。


また、心理師としても小中高の学校現場で子ども達と関わる中、クリスタルボウルを使ったリラクゼーションやヨガイベント、講演等を実施。音楽現場だけでなく臨床心理の視点からも音や即興の可能性を模索する中で、セラピーツールとしての「音」とパフォーマンスとしての「音楽」の在り方を見つめながら現在に至る。(2025年クリスタルボウルとコントラバスを使ったSOLOアルバムをリリース。)


おーらいレコードより、リーダーアルバムとサポートアルバムを併せて13枚のCDをリリース。2012年・2013年には、詩人の谷川俊太郎氏のイベント「詩が音楽と出会う時」でオープニングアクトを務める。



Yasmine.Handworks

◆ Ludique 〜自分を知って、自分を遊ぶ ◆ Musisian / Psycho-Therapist Bistro TOKITAMA / Psychological-Astrologer なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ 「アンパンマンのマーチ」