『諸国の天女』と詩人・永瀬清子
【 『諸国の天女』と詩人・永瀬清子 】
去年の秋冬は徒然草の作曲のために脳みそ兼好さん(吉田兼好)ラブだったのが今年は詩人・永瀬清子さんにきゅきゅきゅ。
特にここ数日は清子の家の皆さんと
清子さんについての資料や当日のセットリストのアイディアをやり取りさせてもらいながら、
清子さんのことを全く知らなかったところから
どんな風に生きたのかな 考えていたのかな その人生に思い馳せ
脳みその中にミニ清子さんが。
なぜなら10/5(日)は
雛罌粟(コクリコ)のLIVEが
岡山県赤磐市「永瀬清子の生家」であるから。
@coquelicot0501
雛罌粟は古典から現代までの日本の詩歌に曲をつけお届けする
歌とコントラバスのユニット
枕草子や徒然草、寿限無、谷川俊太郎、中原中也、立川道造
与謝野晶子、ほかー
いろんな詩歌をレパートリーにしていますが、
清子さんの詩、言葉はメロディーやリズムをつけられるより
朗読で読まれたがっているような気がして
なかなか心易く曲をつけることができないまま。
でも今回LIVEが決まってから詩集を眺めていたら
諸国の天女が「今こそ曲にしておくれ」と言う。
え いいの?
二日二晩奮闘してメロディーつけたけれど
「 このメロディー ダサくて嫌 天女感ないし」
( ゚д゚)!
天女からクレームが届く。
没曲を踏み台にしてさらに二日二晩
ようやく完成した二作目のメロディーに
天女が気持ちよさそうに上機嫌で乗ってくれました。
(もうヘロヘロ)
『諸国の天女』は
清子さんの生き方や哲学のエッセンスが
ぎゅっと詰まった詩のように思えたりして
美しい響きの古語が散りばめられているのも魅力。
言葉の一つひとつからゆったりしたリズムが
立ち上がってくるみたいな感覚があります。
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◆10/5(日)14:00〜
雛罌粟(コクリコ)LIVE
岡山県赤磐市「詩人・永瀬清子の生家」
( ※ 谷川俊太郎さんが「永瀬清子さんのちゃぶだい」
という詩を書いていたり、中原中也が幼少期に同じ幼稚園で清子さんと一時期を過ごしていたり、与謝野晶子との繋がりもあったりして、雛罌粟のレパートリーにも関係が深い詩人ということを最近教えて頂きました。)
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◆永瀬 清子(ながせ きよこ)
(Wikipediaより)
1906年(明治39年)2月17日 - 1995年(平成7年)2月17日)
日本の詩人。
岡山県赤磐郡豊田村熊山(現赤磐市)出身。
幼年期を石川県金沢市で過ごし、
愛知県立第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)卒業。
本名は永瀬清。
▶︎詩人永瀬清子とは
(NPO法人永瀬清子生家保存会のHPより引用)
生涯詩人であり続け、
世間の人であり続けた清子の詩からは、
誰もが尊重され何者にも束縛されず、
自分の人生を全うできる世の中であってほしい
と願う気持ちが溢れています。
農村に生き、農業に携わる生活者としての言葉を紡ぎ、
「私」の中に多くの女性を重ねている。
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『諸国の天女』 永瀬清子
諸国の天女は漁夫や猟人を夫として
いつも忘れ得ず想つてゐる。
底なき天を翔けた日を
人の世のたつきのあはれないとなみ
やすむ間(ひま)なきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
井の水を汲めばその中に
天のひかりがしたたたつてゐる
花咲けば花の中に
かの日の天の着物がそよぐ。
雨と風とがささやくあこがれ
我が子に唄へばそらんじて
何を意味するとか思ふのだらう。
せめてぬるめる春の波間に
或る日はかずきつ嘆かへば
涙はからき潮にまじり
空ははるかに金のひかり
ああ遠い山々を過ぎゆく雲に
わが分身ののりゆく姿
さあれかの水蒸気みどりの方へ
いつの日か去る日もあらば
いかに嘆かんわが人々は
きずなは地にあこがれは空に
うつくしい樹木にみちた岸辺や谷間で
いつか年月のまにまに
冬すぎ春来て諸国の天女も老いる
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#永瀬清子
#諸国の天女
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