何故それをするのか「月の原風景=太陽活動のルーツ」
ホロスコープセッションをはじめてから1年半経ってもまだまだ学びは終わらず、
アウトプットしながらひたすらインプットし続ける頭の中は、忙しい。
SCや個人セッション日々のスケジュールの合間に、
毎回すごい角度と量で降ってくるスパルタみたいな先生の課題に奮闘して、
卒論並やし😭!フルマラソンみたいやし!
とツッコミ入れつつ早朝からカフェに篭ってレポート仕上げ、
夜にはふぅ、っと月を見上げる
そんなサイクルも板についてきました。
一体わたしはこの一年半で、A4何十枚分の文字を書いたのか。
共に学ぶ皆さんや先生の個性や変態的な知識欲に、
自分の居場所をほんわり感じつつあるこの頃。
充電芳しくない我がmac book airを労わりつつ、
それでもどうして心理占星術を選ぶのかと言えば、
ひとえに、
この変化し続ける時代を生きる生身の人間の日々の暮らしのために使える『生きた』メソッドだから。
ということに尽きます。
・・
大学を出てからもう20年ほど、
NPOや電話相談、SCの仕事に携わりながら
こどもの現場に関わり続ける中で、
虐待や自傷、今すぐ死んでしまいたい想い、
生活困窮や差別からくる負の連鎖、
様々な人間の暮らしが日常の側にあった。
NPO時代に自分の軸にしていた想いは、
生まれた環境に関わらず、また社会が良い方向に変わらなかったとしても、
一人ひとりが本当に自分らしく生きれる力を取り戻すことができたら、
人は生きていけるかもしれないという、糸みたいな希望の光。
そのために、心が豊かになる空間と時間の中で、
世界を見る目を変えることができたら、と、信じてやっていた。
これは、音楽の中でもいつも想っていることで、
特に雛罌粟は、日常の暮らしを言葉や音楽にできたらと、
相方のまーちゃんと2人でよく話す。
担当がたまたま企画チームだったから、
衣食住の物質現実的なサポートではなく
心や精神の領域に自然とベクトルが向かったのかもしれないけれど、
『物質と精神の生きる力は両輪だから』というのが、
当時の私の口癖だった。
物質的な豊かさだけでも、心の豊かさだけでもだめ。
どちらもあって、ひとは生きていけるんだと思う。
企画を通す時、ひとりでも熱弁してた。
どんなに辛い現実の中でも、
生きてて良かったと思える非日常の空間や時間を媒体にして、
1人ひとりが本当の自分自身を思い出すことができたら、と、
ゲストをお招きして色んなトークイベントをしたり、
音楽家が本気で音を出す姿そのものに
心が震えるようなライブを企画したりした。
ホロスコープを使って星を見るということは、
私にとってはその延長上にある。
だから、ホロスコープから性格や傾向だけが分かっても、
目の前の現実を変える力に繋がらなければ、
個人的には意味を感じれなかった。
実際、独学で西洋占星術を学び始めた頃、
『あなたはこういう人です』と
性格診断で終わることにモヤモヤ
そういう傾向は自分でもわかっているし、
だからこそトラブルにもなって困っているのだが。
本来もっともっと自由に
私たちが個を生きるために使えるツールが、
成長プロセスの途中で
その人をある言葉の定義や枠にはめてしまうことの違和感に、
学ぶ意味がないんじゃないかと思い始めたとき、
ようやく心理占星術に出逢って、今ここ。
世の中の宗教や信念、概念や哲学は、
生きるために大切な心や精神エネルギーだけれど、
目の前の日常の日々に使える知恵でなかったら、
人々の人生を善きもの(幸せ)にするものでなければ(木星)、
伝搬(木星射手座)される意味がない。
今ここでない非日常の抽象的な知恵、叡智(射手座の世界)は、
目の前の日常(双子座の世界)に具体化されてはじめて、
本当の意味で活かされる。
何故それをするのか。
射手座満月のこの日のセッションは、
太陽活動のモチベーションの原風景、
自分自身の信念のルーツ(月)を思い出させてもらったような、時間でした。
ゲストに感謝を。
Yasmine.HandworksのHPから-
見えるものと見えないもの
日常と非日常のあわいを知ると
明日が今日より
ほんのちょっとだけ豊かになる
・
0コメント