【星雑記】金星・考


春はよく、ひとつのことが終わって次のなにかがはじまったりする。
学生でなくなった今でもソワソワはなくならなくて、やっぱりザワザワする。

プーチン大統領のホロスコープを見ながら、
ここしばらく金星のことをぼんやり考える時間があって、
そうするとやっぱり止まらなくなった。

金星つまり自己価値とは何か。
自分の持っている才能やスキル。

つまり『自分がそれで稼いで収入を得られるのだ』と、
自己価値を実感できるものはなんだろうかな。
それは与えられるものではなく自分の中に遺伝的に元々あるもので、
周りの人は気づいているけれど本人だけが気づいていないことも本当に多いもの(横で見てたらすごいのに)。

金星がうまく実感できていなかったり上手く使えていないと、自己価値が低くなることが多い。

欲しいと思っていたもの、
どうしても手に入れたいと思っていたものが手に入らなかったりすることも、
この現実社会ではもちろんあって、
その時には自分の価値を疑って自信がなくなってしまうこともあるけれど、
その時はもう一度、
自分の中の価値を探すしかない。

探して
『もしかしてこれかな? これ、使えるんかな? どうなんかな?』

そう思えたら、次はそれを使ってみて、
結果を自分にフィードバックする。

自分の価値に気づいてそのスキルや才能(かもしれないもの)を社会の中で使ってみて、
本当に使えたらどうか、もう少しレベルアップが必要かどうか、フィードバックを受けながらもう一度トライして。

これを繰り返していくと、
本当に使える自分の才能やスキル、
自己価値が段々『実感』できるようになってくる(はず)。

またもともと自己価値を低く見積もっている人の場合は、
やってみることで他者から評価され、
やっと自己価値に気づけることも多いはず。

どちらにせよ、
『これかな? これかも? これかしら?』
というところで置いておくだけでは、実感までにな至らないので、
やっぱり自信はないながらも自分の才能かもしれないと思うことを実地で挑戦してみるしかないのだと思う。

それでも、失敗して自己嫌悪になりながら
修正しながら何度も試していくということを、
試されながら、自己価値は上がっていくんじゃないかな、と思いたい。

心挫けそうになるときは、
同じように奮闘している友や、憧れの君の姿に力づけられながら。


というようなことを、
自分に言い聞かせて思考は落ち着いた。


誰かの褒め言葉で自分の価値を知るきっかけになったり、
救われることはもちろん大切で、
そうやってみんな、照らし合い繋がり合いながら生きている。

でもその先は自分しかいなくて、
自分自身の責任においてトライすることが出来なければ、
自分のものとして『実感』できないまま、
肉体、身体はふわふわしたままなのかもしれない。

Yasmine.Handworks

Musisian / Psycho-Therapist (公認心理師) / Psychological-Astrologer(心理占星家) / Bistro TOKITAMA / REIKI Master なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君はいくんだ ほほえんで 「アンパンマンのマーチ」より