受付の隅っこで涙ぐむ
8年くらい前になるのか、もう記憶が薄れているけど。
大学を卒業してコントラバスという楽器を知ったばかりの頃、
ある地域に根ざしたまちづくりのNPOに、同世代のスタッフが集まってきた。
それから次々、
カフェがはじまって、
「なんかおもろいことやろう」
「いろんな人巻き込んで、一緒に企画つくろう。」
毎日文化祭みたいにみんなで奔走していた時代があって、
それが、今の職場『NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝』。
働きはじめて今年で15年になる。
ー東京の高円寺でリサイクルショップをしながら「素人の乱」なるアクションを起こす店主。
ーリトルモアという、イカした本ばかりを扱う出版社の社長(パンチパーマに蛍光色の服)。
ーピンク映画の監督を経て、高齢者の性をテーマにミッキーカーティスや吉行和子主演の映画を制作する女性監督。
ーブラジルのスラムに入り込んで、その貧困問題を発信する、とても素敵なジャーナリスト。
ーアフリカから来てくれた、とある部族の首長と音楽家。
書き尽くせないくらい、
めちゃくちゃカッコいい大人たち。
大学を出てすぐの叩き上げだったから、
上司 (NPOの当時のブレーンであり、あの時代に限りある資金を私たち若者に投資してくれた先人たち) に何度も詰められ怒られ、反論して泣きながら頑張った毎日。
でも、一つひとつの企画を、今よりもっと丁寧に創れていたとき。
昨夜のまなびカフェは、そんな昔のご縁が約8年の時間を経て再び巡った、久しぶりのアフリカンナイト。
ゲストはアフリカケニアのキベラスラムでマゴソスクールを運営している早川千晶さんと、
ドゥルマ民族伝統音楽奏者の大西匡哉さん。
マゴソスクールの日々のこと、そして前回は聞けなかった、千晶さんのご両親のお話。
なぜ千晶さんが日本を出てアフリカへ向かったのか。
その根っこの想いや、個人ではどうしようもなかった世界の情勢と世代を越えた大きな時間の流れ。
思い馳せ、開始直後に早くも涙ぐんだ。
本じゃなくて、目の前にその人がいる。
まなびカフェは、インターネットやTV、新聞などでは味わえない、生の人間や体験から世界をまなぶ場をコンセプトにして、3年前スタート。
(場と空気感のゆるさが特徴)
企画をしていると、それだけで沢山の人、情報、ものと出逢える。
例えば旅をしなくても。
そのことに、改めて感謝した夜だった。
◆マゴソスクールとは?(情報はHPから引用)
ケニアの首都ナイロビの中心から5kmほど離れたアフリカ最大規模のスラム街、キベラスラムは、2.5km四方の土地に100万人から200万人の人々が暮らしていると言われ、
その中にあるのが、マゴソスクール。
孤児、元ストリートチルドレン、虐待を受けた子どもたち、労働させられていた子どもたちなどのスラムの駆け込み寺として、子どもたちだけではなく、大人も、若者たちも、
困った状況にある人たちがここで共に生きていく場所になっており、マゴソスクールで家族のように生活をしている人たち(マゴソファミリー)が子どもと大人を合わせて常時約30名いる。
幼稚園から小学8年生までの授業(通いの生徒数500名)、スラムの貧困者のための職業訓練所(洋裁と大工)と作業所、毎日の朝昼の給食、高校生のための奨学金制度などを運営し、
2014年には、障がいを持っている子どもたちのための特別学級も設営。
運営は、合計37名の職員(スラム住民)と、マゴソ卒業生たちがボランティアで成り立っている。
0コメント